暴力的愛情による人間関係の構築(俺ガイル8話 感想)

一つ前の記事で本能の抑制を私は肯定したが、秋の空以上に移ろいやすい私の心は本能の抑制とはまた真逆のものを肯定したがっている。

きっかけは、アニメ『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。続』の8話を私が見たからである。

私がアニメ一つ見るだけで影響されるような薄っぺらい人間であると読者に思われると予想できるので、恥ずかしい気もする。しかし、どのようなものに影響される人間ならば高尚であると貴方は言うのか、否、貴方の思っているどんなものでも一緒の事だ、と読者に私は小さな反抗をする。ここで重要なのは、アニメではなく、影響されているという点である。影響されるということ自体、弱い立場であることを表している。しかし、人間は様々なものから影響を受けなければ、成長などありえない。また、そもそも、自ら進んで弱い立場に降りた私を侮辱する人がいるならば、物語上のハイエナのように狡猾な人間だと私は軽蔑する。

本題に入るが、このアニメの中で主人公たちが互いに分かり合おうとする場面があった。詳細は、実際にこのアニメを(出来れば2期の1話から)視聴して欲しい。その中で、彼らは同じクラスの別のグループとは異なり、それぞれの感情によって互いにすれ違い、苦しみ、そして着実に関係を深めていった。現実の社会でも、多くの人がその別のグループと同様に自分の感情を押し殺して生きている。多分、合理的でないからだろうと私は思う。感情は相手を一喜一憂させ思考を圧迫させる。それがスムーズな人間関係の構築を阻害する。少ない労力で高いパフォーマンスを得る為には感情は邪魔なのである。しかし、上辺だけの付き合いで構築した人間関係というのは張りぼてだ。ぱっと見は完成されているように見えるが、ほころびが幾つももある。きっと、その程度の関係であれば少し会わなくなるだけで一気に疎遠になるだろう。そして、その事について当事者は大事だとは思わない。張りぼてではなく、美しい城のような関係を構築するには、やはり、感情を押し殺していてはダメである。きっと、誰しも心の中ではそんな関係を望んでいる。しかし、社会に漂う合理化の雰囲気の中では、相手を傷つけたり、相手に傷つけられることは否定され、相手と本物の関係を築こうとしようとしている人間は狂人にみえる。自分の感情を正確に伝えるためには、相手の触れて欲しくない場所に手を伸ばさなければならない場合もあり、そこに規則違反的な暴力性を感じるからである。しかし、本物の関係を構築するには、その暴力性を自ら奮い立て、ナイフで互いをめった刺しにする様に、互いを理解していかなければならない。私は、このような過程で作り上げられていく、主人公たちの関係に憧れを抱いた。

 

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